はじめまして。ブログをご覧いただきありがとうございます。
当ブログ管理人「もりお」です。
この記事では、
お受験勉強はできたけど仕事はまったくできず「使えないポンコツ今学歴」で、そのあと会社をやめてニートになったり、どうやってビジネスの世界に飛び込んだのか。なぜ今は人生が心の底から楽しくなったのか、その全てをお話していきます。
最初に簡単に自己紹介しますね。
僕は30歳の時に
インターネットを使ったビジネスに出会い、
働きながら1年3カ月で最高月収44万円をとっぱ。
月6桁の半自動収益の仕組みをつくりました。
得意なことは
少ないアクセスでもネットでモノを売ること。
たとえば、読者さんが20人しかいない時でも
商品がメルマガから勝手に売れてました。
日常としては、
フリーランスで働きながらネットからの自動収入があるので、
新潟の田舎でまったりと暮らしています。
平日フラッと海にいったり。
昼前に起きて、PC1つ持ってカフェで仕事したり。
自分の読者さんと作業会したりご飯に行ったり。
ビジネス仲間とアフタヌーンティーを楽しんだり。
会社員時代では想像できないほど、ストレスフリーで心穏やかな生活を送っています。
僕の強みは、モノを売る力以外にも
もう一つがあります。
それは、僕自身が会社で「もりお君、いる意味ある?」なんて
使えない奴扱いされてきた凡人なので、
誰よりもビジネス初心者さんに寄り添えること。
読者さんや講座の受講生さんからは
・「もりおさんの講座を受けて良かったです!」と熱いメールをもらったり
・「おかげで商品が売れました!」と感謝のメッセージをもらったり
・集客について教えてたら、「有益な情報ありがとうございます!」とスタバギフトが送られたり
・勉強会を開けば県をまたいで参加してくれたり
(詳しくは実績一覧をごらんください)
「使えない奴」ではなくむしろ感謝される側になり、今もビジネスを成長させている最中です。
ネットで自動収益と聞くと
「胡散くせえぇええ」
と思うかもしれませんw
それが正常だと思います。
1年前の僕も、こういう類のブログを書いてる人は全員詐欺師だと思ってたくらいです。
そんな僕が、
どうやって今の考えに至り、
自分でもネット上に「仕組み=自分が働かなくても稼いでくれる自動販売機」を作ったのか。
その過程がサクッと分かる年表をつくってみました。
これまでの「もりお」の人生年表
・0歳~9歳:もりお誕生
新潟の上の方で生まれる。実家はもともと小さな豆腐屋で、母親は看護師。姉・兄・もりおの3人兄弟の末っ子。
・9歳~12歳:過保護な母親に子供時代を奪われる
過保護で教育ママなな母親に小3から小6まで週5でやりたくもない習い事を強制され、クラスメイトと遊べずに恨んでいた。
また、ささいなことで癇癪をおこす母親が怖くて、いつも人の顔色を伺っていた。母に意見を言っても「だったら家から出ていけ!」「親の心も知らないで、感謝しろ!」「大人になったら分かるから言うことを聞け!」と理不尽に怒られ、しだいに無気力に。ほかにも家族で外食するときに食べたいものをいうと「そんなものダメ」、欲しい服を言うと「もりおには似合わない」と否定され続けられ、自分の好みが言えなくなる。
・13歳~15歳:地元の公立不良中学校で暗黒期
田舎の公立中学校に進むが、不良=正義な荒れた学校だった。不良とは距離をおきつつ、漫画やラノベを授業中に読み、家に帰ればネットでテキストサイトを漁るスクールカースト底辺層のオタク。このとき、小学校時代の習い事地獄の反動で「やりたくないことはやらない」という姿勢になる。合唱コンクールの練習を一人だけサボってたので、クラスの全女子から嫌われていた。この頃から集団行動は苦手で、みんなで何かをするというのが無理だった。ちなみに中学校時代の同級生の連絡先を一人も知らない。笑
・16歳~18歳:がり勉高校でお受験勉強
地元の同級生との縁を切りたくて、実家から100km以上離れた自称進学校の高校へ進む。中学校は治安が悪く、学校の壁や先生の車が破壊されたり、授業中に3階から机が落ちてきたリ、タバコのボヤで警察がくるような日常だったので、偏差値が上がると不良がいないことに感動する。
「部活よりも勉強」「1日4時間は自宅学習」という校風で、毎日大量の宿題と小テストがある3年間だったので嫌でもお勉強ができるようになる。ただ、あくまで「やらされてるからやった」だけで、お勉強自体は嫌いだった。高校入学時点で文系理系に分かれる高校で、数学ができたので理系を選択。クラスの8割が男&シャイボーイだったので、ほぼ女性と喋らずに高校を卒業。
18歳:はじめての成功体験
中学時代の成績はバカ公立中学校の「中の上」くらいだったが、毎日大量の宿題と小テストを3年間こなしたおかげで、東北大学工学部に合格。たまたま近くの席に東大や京大・医学部合格者が複数いたので、自分はそこまで勉強ができると思っていなかった。環境で自分の基準が変わるという体験と、凡人でも正しい方法で継続してれば成功できると知る。やりたいことはなく、学校と学部は受かりそう&潰しがききそうという理由で選択。
・18歳~22歳:怠惰の限りをつくす陰キャ大学生
実家は裕福じゃないため奨学金を借りて進学してるのに、あまり大学には行かず部屋で漫画とアニメばかり見る日々。大学の学問に興味がわかず、高校までと違いどう勉強すればいいかもわからず落ちこぼれる。
周りとも気が合わず、4年間で学部の友達はひとりもできなかった。オタク系のサークルに入り、麻雀のち酒な日々。
バイトも居酒屋やコンビニはコミュ障なのでムリ!と思い「座ってるだけの警備員のバイト」を選択。もちろん、キラキラしたバイト経験はなく、黒光りするトラック運転手のおっちゃんから女遊びの自慢を延々と聞かされたり、禿げ上がった定年したおっさんから宗教の話をされるなど。
さらに、工学部は高校時代に輪をかけて女性がおらず同じ学科250人のうち女性はたったの5人。おたくとおっさんとしか喋らず、女性との喋り方が分からないまま華の10代を終える。(書いてて泣けてきました)
・22歳~24歳:働きたくないでござる
「みんなが大学院へ進むし、まだ働きたくないから」とここでも流されて同大学院へ進学。工学系の勉強に興味が0で、授業はあまり出てなかったし研究も全然できておらず、留年スレスレで院へ進む。
大学院に進学後もポンコツで、どう研究すればいいか分からず研究発表では毎回炎上していたがお情けで卒業。
・24歳~25歳:一部上場企業~退職
学生時代なにもしてこなかったので、当たり前のように就職活動は面接で落とされまくる。学校推薦を使いなんとか機械系メーカーに就職し、研究職に配属され神奈川勤務となる。しかし、相変わらず工学系への興味も知識もなく仕事ができず、先輩からは「いない方がマシ」、上司からは「お勉強だけできてもね」と言われ「高学歴ポンコツ」「使えない奴」扱いされる。
会社に馴染めず、愚痴だらけの飲み会も大嫌いで、社外に出たら通用しないつまらない仕事が続く日々。こんな生活があと40年続くのかと絶望し、世間的にはホワイト企業にも関わらず1年ちょっとで退職
・25歳~27歳:ニート~転職
退職した後はしばらくニートを経験。その後、働かずに雇用保険が長くもらえるという理由で職業訓練校に通う。Web制作の基礎を学び就職斡旋をうけ地元のWeb制作会社。しかし、そこでもまた人間関係で鬱っぽくなり1年半で退職してしまう。
・27歳~28歳:ブログアフィリエイトで月80万稼ぐ
そこからは個人で生きていこうとブログアフィリエイト塾に入る。そこで月収80万円をたっせいするが、その3か月後にはSEOや広告単価が落ちて月3000円まで収入が減る。プラットフォームに依存したビジネスの恐ろしさを知る。
・29歳~30歳:迷走~映像系フリーランス
その後、YouTubeに挑戦したり、ブログを3記事で挫折したり、仮想通貨で失敗をしたりと大迷走する。
また、フリーランスにあこがれ映像編集を始め、TVCMなどの仕事なんかもさせていただくように。しかし、働き続けないとお金が入らないこと、いつ仕事がなくなるか分からない不安から、フリーランス≠自由じゃないという現実を知る。そんな時、「働かなくても毎月1000万円以上稼いでる」という20代を知り、「自分も同じ道を歩みたい」と決意する。
・30歳~:知識を手に入れる~現在
フリーランスで映像の仕事をしながら、Webを使ったビジネスをスタート。先輩起業家に会いに行くと、皆が口を揃えて「知識さえあれば誰でも月100万円は余裕。もりおさんもいけますよ。」と言うので半信半疑ながら進める。
開始2か月でインターネット上に半自動でお金を稼いでくれる仕組みを構築し、11か月目で月6桁を突破。今ではメルマガ読者さんは99名突破。月1000PV程度の世間一般的には弱小ブログながら、5万円の商品がポンポンと売れていくようになる。もともと3日坊主にも関わらず、お客さんから感謝されたり、ビジネス仲間と切磋琢磨してるうちに気づけば1年が経っていた。2021年9月に最高月収44万円突破。
もっと成長し、ビジネスを拡大するためにライティングやマーケティングを勉強しながら、仕組みを拡大し続けている。現在は31歳。
とこんな感じです。
教育ママのもと自分に自信がなくなる小学生
僕は新潟県で生まれました。
母親は看護師でしたが、とにかく子供を自分の好きなように教育したがるタイプ。
小学校3年生から水泳、そろばん、塾、ピアノ、体操と、別に僕が1mmもやりたくない習い事を週5で、時には土曜や日曜日も通わされました。
そのせいで、クラスメイトと放課後に遊びたくても一人だけ一緒に遊べなくて泣くほど嫌でした。
ゲームも周りがスーパーファミコンや任天堂64を持っているのに自分だけ買ってもらえず、ゲームの話についていけないのも惨めだったなぁ...。
本当は、友達と放課後流行のゲームを一緒にしたかったなぁ。
あと、お小遣いも1円ももらなかったので、たまに友達と駄菓子屋に行っても僕だけ指をくわえて見ていました。お小遣いをもらってないというのが恥ずかしくて、「今日は財布わすれちゃった!」なんて誤魔化してました。
習い事では特に水泳が嫌いで嫌いで。
というのも、僕は選手育成コースという「大会に出てタイムを競う」のを目的としたコースに入れさせられたんです。
当時はまだスパルタ教育がまかりとおっており、コーチが「手を抜いてる」と思ったスクール生の頭をスリッパやビート板で叩くなんてのがまかりとおってました。
僕がいくら
「ビート板で頭たたかれるし、もう水泳やめたい!もう行きたくない!!」
と、母親に泣きじゃくりながら訴えても、まったく相手にされませんでした。
母「うるさい!男がそんなことで一々泣くな、根性なし!」
僕「もう5キロだって10キロだって泳げるし、別に速く泳げなくていい!!なんで泳がないといけないの?」
母「文句を言うな!!いいから言う通りにしな!水泳やめたいなら家から出ていけばいい!もう家の子じゃない、通わせてる親の心も知らないで!!感謝しろ!このバカ!!」
僕「わ゛あぁあぁああぁああん」
気に食わないことがあると「飯を抜きにするぞ」「家から出ていけ」というのが母親の常套句で、何をいってものれんに腕押しなやりとりに、しだいに無気力になっていきました。
どんだけ母親が憎くても、小学生の僕は親のお金で生きているので無力。
「母親なんて交通事故で死んでしまえ」「大人になっても母親の面倒だけは絶っっ対にみないぞ」
と心の中で悪態をつくのが精一杯です。
ほかにも、家族で外食するとき。
お見せで何が食べたいかという話になり
僕「カレーを食べたい」
母「そんなものダメ。家で食べれるでしょ。こっちにしなさい。」
と一蹴されたり。
服を買ってやるといわれて服屋にいけば、
僕「このTシャツが欲しい」
母「えー、その色はもりおには似合わないよ。この柄もダサい。それよりもこっちの方がいい。」
僕「でも、さっきの方がいいんだけど」
母「(ブチン)あんた、誰のお金で服が買えると思ってるの!!だったら自分のお金で買えばいいじゃない!」
と、とにかく僕は否定され続け、何をするにも母親の顔色をうかがうようになりました。
そのせいか、大人になってからも「自分はダメなやつだ」と自分に自信が持てない性格に。
常に母親の意志に従ってたので「自分が好きなものが分からない」「自分の意見がない」という千と千尋の「カオナシ」のような人間になってしまいます。
(これは後述しますが)
田舎の公立中学校にいるカースト底辺のオタク
僕の通ってた中学校は、田舎の公立中学校あるあるかもしれませんが「不良=正義」という価値観がまかり通った荒れてる学校でした。
先生の車が破壊されたり、いじめで全国ニュースになったり、万引きが普通だったり...エピソードをあげればキリがありません。
僕はそんな中で、少人数が好きで地味でおとなしいタイプ。
むしろ、中学に入って急にタバコを吸いだすクラスメイトたちを軽蔑していました。
現実逃避に漫画やラノベを授業中に読み、家に帰れば夜な夜なインターネットのテキストサイトを読み漁るいわゆる「スクールカースト底辺のオタクくん」。
当時、僕の親友は漫画でした。
家にもいたくないので時間さえあればブックオフに自転車で30分かけて通う毎日。
ジョジョの奇妙な冒険、ハンターハンター、幽遊白書、ドラゴンボール、刃牙、寄生獣、AKIRA、あずまんが大王、、、。足がパンパンになるほど長時間、漫画を立ち読みしてました。この時間が最強に楽しかったです。
別にいじめられてるわけじゃなかったのですが、ヤンキー集団の下校中にたまたますれ違うと雪玉を遠くから投げられたりはしてました。笑
「チンパンジーかよ。なめやがって、くそが。
絶対いい高校、いい大学にいって将来こいつら全員見下してやる」
と内心ブチ切れてましたね。
もちろん、身長は低いしヒョロヒョロだし、まともに喧嘩もしたことのない雑魚オタクだったので実際には口にはしませんでしたが。
そして、小学校時代の抑圧されていた反動で、「やりたくないことはやらない」というという姿勢になります。
たとえば、体育祭や合唱コンクールは、まっっったくやる気がしませんでした。
クラスメイトが「金賞めざすぞ!」と自主的に朝練をしてるところ、
「なんでたまたま同じ場所・同じ年に生まれただけのクラスメイトと協力して、やりたくもない競争をしなくちゃいけないの?そのために家でインターネットしたり部活の時間が奪われるなんて、おかしい」と鼻で笑い、ひとりボイコット。
いや~、いい根性してますね。
この頃から集団行動が苦手なのが分かります。
クラスで一人だけ練習をサボってたのでクラスの全女子から嫌われ、ボスみたいな女子生徒からは「おいっ!のび太みたいな顔で調子にのんなよ!!」と罵られてました。そのせいで、今でも女子中高生は怖いですね。
こんな中学校時代だったので、当時の同級生の連絡先は一人も知りませんし、もちろん同窓会に誘われることなんかもありません...。
高校~東北大学に合格
次は、高校時代です。
高校は、不良文化から脱出し地元の同級生と縁を切るために、実家から100km以上離れた寮のある学校を受験します。
なんとか合格しますが、そこはとにかくお勉強をさせたがる校風で、生徒はみんな国公立大学を目指すのが当たり前でした。
偏差値が上がると学校に不良がいないことに感動します。
「うぉ~~~、学歴があがると人間性もあがるんだ!学歴は正義だ!!」と思いましたね。
ただ、その高校は
「部活よりも勉強」「1日4時間は自宅学習」
という校風で、もともと勉強が好きじゃなかった僕は違和感を覚えます。
とにかく良い点数をとり、良い大学へ行き、大企業へ入る。
そのために今頑張って勉強しなさい。
そんな大人たちに最初は反発してましたが、気づくと自分も周りに流されて
「僕もお受験勉強をしないと。」
と、好きでもないお勉強を毎日毎日していました。
「ここで勉強しておけば、中学校の奴ら全員を見下せるな」
「いい大学に入って人生勝ち組になってやる」
ってな具合です。
ちなみに高校入学時点で文系理系に分かれる高校でだったのですが、僕は理系を選択。
そのおかげでクラスの8割が男でした。
本当は女の子とも仲良くなりたかったですが、「女子と喋らないクールな自分」を装うのに必死で、高校生活をほぼ女性と喋らず終えることになります。マジで恥ずかしいですね。後悔しかない。
そして大学受験は
「教師たちがおすすめしてたし」
と、何も考えずに選んだ東北大学の工学部に合格。
僕が
「東北大学出身です」
というと、
「凄い!頭いいんですね」
「優秀なんだね」
と言われることがあります。
ですが、謙遜じゃなくて全く頭よくないんです。
お勉強は高1から知識を入れまくりひたすら量をこなしたから、部活や青春を謳歌し高3から受験対策を始める他の高校生より出来ました。
この時に人生で初めて、
「自分みたいな中学時代そんなに成績がよくない人間でも、勉強し続ければちゃんと結果は出せるんだ」
という成功体験を得ることができましたが...。
やったことは、基本的な問題や過去問をひたすら反復練習してパターンを覚えただけです。
凡人なので出会ったことのないパターンの問題を解くのは苦手でした。ただただ公式と問題のパターンを覚えて、愚直に代入することしかできません。
そう、むしろ頭が良いどころかポンコツ。
仕事が全然できない「使えない奴ら」な人間です。
BBQとかあると、テキパキと準備を進め楽しそうに会話をする人たちを横目に、何をすればいいか分からず、人に話しかけられもせず、隅っこで棒立ちしてしまう。
あ~、惨め。惨め。
さらに、世間的には勉強が出来るのが取り柄なはずなのに、勉強は好きじゃなかったので大学では怠けに怠けました。
勉強に0.0001mmも興味が持てず、あまり大学にも通いませんでした。
朝まで酒を飲みながらアニメを観て、昼に起きる。もちろん午前中の講義は寝過ごしている。
午後の講義も受けず、そのままコンビニにキリンラガーを買いに行く。この酒を買うお金も奨学金でです。そしてまた酒を飲みながらぐだぐだと漫画を読んだり、2chを見たり。
出来上がったのは勉強もできず仕事もできない学歴だけがあるポンコツ。
いい歳をして、
・勉強
・恋愛
・バイト
・仲間とウェーイ的なイベント
どれも、ご縁がなかったですね。
この時も、本当は「ワイワイできる友達が欲しい」「彼女が欲しい」と思ってました。
リアルが充実している人をみて「羨ましい」と思ってたけど、自分がそっち側になる行動力はない。のけ者にされるのが怖くて、自分に自信がなくて、自分の殻に閉じこもってました。エヴァンゲリオンのシンジくんみたいなもんです。
「けっ、いいよなイケメンに生まれた陽キャたちは。」と毒づき、部屋でアニメをコマ送りしてたり、漫画を読み漁ったり、AKBや乃木坂といったアイドルの動画を見るだけ。
楽しいといえば楽しいけど、寂しさが常にある大学時代でした。
あと、大学の研究も何をどうすればいいか分からない。
でも、プライドが高くて自分から人に聞いたりできず放置してしまい、手遅れになってから教授に「今まで何をやってたんだ!!!」と激怒されたり。
大学側のお情けでなんとか卒業できたような僕は、同級生の9割が進学するので「自分もまだ働きたくないでござる」と大学院へ進学します。
就職活動で惨敗しつつも念願の大企業へ
大学、大学院ととにかく研究もできなかったし、なにもしてこなかったので当然、就職活動もボロボロ。
「学生時代に力を入れたこと」
なんてなに一つなかったし、
「仲間と何か成し遂げたこと」
もありません。
「仲間?仲間ってなんだよ、漫画のワンピースじゃあるまいしふざけんなwwww」
とか思ってました。
まぁ、第一希望の業界はすべて書類か一次面接で落ちましたよね。
面接官「弊社にはいってやりたいことを教えて下さい。」
僕「(そんなもんねぇよ、働きたくないし興味もないわ)
えーっと、そうですね、、、。データ処理で〇〇という業務の効率化に興味があります。」
面接官「もりおさんの研究分野とは違いますが、なぜやりたいのでしょう?」
僕「(今の研究がいかせる会社なんて日本に1社しかないし、もう落ちたんだよ!)
あ、えーと、はい。その~、大学の研究で△△を学んだ際に、え~と、、、、」
小さいころから親のいうことを聞き、高校では教師の言うことを聞き、ずっと誰かの言いなりになって生きてきたので「自分がやりたいこと」「自分の意見」というのが何もありませんでした。
なので、面接でもいつも答えにつまったり、薄っぺらい返答しかできませんでした。
一応、質問を想定した回答を用意はするんですが、本心じゃないことを口にするのが苦手で、どうしてもモゴモゴしてしまいます。
プライドが高かったので、入社試験で落ちるたびに「あぁ、、、俺は価値の無い人間なんだ。この世界に不要なゴミ人間だ。」と泣きたくなってました。
連敗つづきで、もう名の知れた大企業に応募するのが怖い。
ネットで「隠れホワイト企業」なんてキーワードで検索したり、2chを見て入りやすそうな会社を血眼で探してましたw
そして、何度も面接に落とされながらも、なんとか学校の推薦をつかい旧帝大パワーで一部上場企業の機械系メーカーに潜り込むことに成功します。
配属先は、学歴のためか大人しそうだったからか、研究職に。
「やった!受験勉強したかいがあった!
大学時代は失敗したけど、これで中学時代のクラスメイトを見下せるぞ!勝ち組だ!」
10代の苦労が無駄にならなかったと一安心してました。
春、新人研修が終わりいざ向かった職場。
ドキドキしながら足を運びます。
職場となった建物は超綺麗で、1階から4階まで全て実験棟。
オフィスはたしか一番上の5階。大学よりも設備が充実していて圧倒されました。
一部上場企業だったしエリートが集まる部署。
同じ部署の人はみんな優秀でした。
当たり前ですが、職場には僕と同じかそれ以上の学歴の人ばかり。しかも、僕とは違ってちゃんと研究をして、サークルやバイトや恋愛でコミュニケーション能力を培ってきたエリートたち。
この差は歴然ですw
海外の協力会社との電話会議では英語で話したり、学会に行くことや特許申請の本数のノルマがあるような職場で、なかには、趣味で論文を書いて自分で学会に参加してる先輩もいました。
好きな人からすれば絶好の「成長できる環境」だったと思いますが、僕は
「うわっ、しんどそうな場所に来ちゃったな...」
と思ってました。
「仕事のハードル高いなー...ここでやってけるのか俺?」
て感じです。
で、いざ始まってみたら案の定、
超~~~つらい。
まず仕事がつまらなかった。
摩擦性能を調べるため実験室でひたすら製品を回転する機械にとりつけ、こすりあわせては観察を繰り返す実験をしてましたが、ただただ苦痛でした。
俺の仕事、あと40年コレ?
と絶望しましたね。
そもそも、学生時代から研究って苦手だったし。
ポンコツすぎて1週間かけてやる実験をおじゃんにして呆れられたり、会議で意見を聞かれても一言もしゃべれなかったりと、あまりにも仕事が出来な過ぎて、先輩社員に
「もりお君、本当に東北大を出てるんだよね?
学歴詐称じゃなくて?」
なんて言われる始末。
そもそも僕は組織とか団体行動が苦手で、
他の部署と連携したりとかも上手くできませんでしたし。
なんか、自分が失敗したときに部署の人とかよう知らん他の部署にも迷惑をかけちゃうのが苦痛で。
どうせなら、成功も失敗も自分に返ってくる場所で仕事がしたい。
製造業は古い体質なのか、飲み会も月に1回くらいはあって最悪でした。
飲み会になるといつも、その場にいない社員の悪口と、仕事の愚痴で盛り上がる社員たち。
「もりおは、早く結婚しないとダメだな!まず彼女つくれ!!」
「お勉強だけできても、ダメなんだぞ!」
なんて言われて、でも苦笑いしかできない自分が情けなくって情けなくって、家に帰るとだれもいない部屋でひとり死にたくなってました。
お受験勉強では正解も問題の解き方もすでに誰かが用意してくれてたのに、実際の社会では「自分の意志で考える」のが正義なことに全く適応できない日々...。
次第に会社が嫌になり、家に帰ったあとも今の生活がずっと続くと思うと心にモヤモヤが消えなくて。
何も考えたくなくて、スーパーで買った980円くらいの安ワインをラッパ飲みして脳みそを停止させるようになってました。
でも周りの同僚を見ると、そんな環境に1mmも疑いをもたず、むしろ前向きに捉えている人ばかり。
たしかに給料は悪くないし、福利厚生もいい。
でも...。
上司や先輩社員をみると、みんな目が死んでいる。
飲み会では悪口と愚痴ばかり。
良い大学に入って、大企業に入ったところで、人格まで会社に染められて、こき使われて終わるだけじゃないか。
でもそれを認めると、今まで高校生から積み上げてきた勉強や大学時代が無駄になってしまう。
これまでの人生を否定することになる。
そんな葛藤をかかえるある日、東芝が経営危機に陥るニュースが流れます。
そして「50代でリストラされた社員が、再就職できず路頭に迷った。」そんな話を耳にしました。
「うわ...いまの研究職って、リストラされたら転職できる気がしないぞ...。
今のまま会社にしがみついてて大丈夫なのかな。10年後に、会社から放り出された時に再就職できない方がヤバいだろ...。」
と、思うようになります。
会社で
「もりお君は、なんでこんなこともできないの?やばいよ?」
と言われる日々にどんどん精神的にもしんどくなり、ついに退職を決意。
先輩社員や周りからは
「もったいない」
「入りたいと思っても入れない人もいるんだよ」
「せっかく良い部署に配属されたのに」
と言われましたが、
今の生活の延長線上に自分の幸せがないことだけは確かだったので決心は揺らぎませんでした。
こうして、新卒で入社した一部上場企業のメーカーを1年ちょっとで退職しました。
ニート満喫からのWeb制作会社へ転職
会社を辞めた後、なんだか働くのに疲れてしまってしばらくニートをしてました。
実家に戻るのも嫌だったので、家賃2万円くらいの格安シェアハウスに住んで、貯金でボケーっと生きてました。
「別に働かなくてもよくね?労働とかクソすぎるだろ」
と自分に言い聞かせて。
当時は、昼に起きてご飯に納豆をかけて食べる。
その後はずーっと夜までスマホで寝ながらインターネット。
アニメをみたり、2chを見たり、漫画を読んだり。
夜20時すぎになったら、徒歩5分のスーパーに割引になったお惣菜を買いにいき、ご飯とお惣菜で晩飯を食べる。そしてまたずっとインターネット。
今振り返っても具体的にインターネットで何をしていたかまったく思い出せない。虚無の時間。
まじでこの時期は、飯を食う、インターネット、オナニー、寝るくらいしかしてなかったですね。
うんこ製造機。
そうそう、僕の住んでたシェアハウスは住民の6割がニートという異常な空間で、お互いに干渉しすぎず、ちょうどよい距離感が心地よかったんです。
ただ、人と喋らな過ぎて、住民票をとりにいった市役所で職員さんとやりとりするだけで顔の筋肉が筋肉痛になるほど、人と喋れなくなってました。
そんなニート生活も、何か月かすると飽きてきます。
というか、シンプルに金がなくなってくる。
雇用保険があるものの、それがなくなったらどうやって生きよう。
そんな時にシェアハウスに入居してきたのが、2年に1回しか働かないおじさん「Aさん」。
Aさんは元M〇cros〇ftのエンジニアで、プログラミング関係の技術書の著者もしている方でした。
Aさんはシェアハウスにいるときはずーっとダラダラしていて、
バイクで日本を横断しながら趣味で絵を描いていたり、自由気ままに生きてました。
一度、なんで働かないのか聞いてみたことがあります。
僕「働かなくて大丈夫なんですか?」
Aさん「うーん、もうお金も十分にあるし、あんまりお金も使わないからね。あと、プロジェクトに入れば月収100万円くらいになるから、2年に1回2か月働けば年収100万円×2になる。1年で100万円あれば貯金もあんま減らず余裕で生きていけるでしょ?」
衝撃でした。
会社に頼らず、個人で稼げるって最強だ。
自分もAさんのように自由気ままに生きたい。
そう思って、スキルを身につけようと決意。
いきなり凄腕プログラマーは無理だけど、Webを学ぼうと無料で通えるWeb系の職業訓練校に通いました。
そして、意外にもデザインやプログラミングが面白くなりそのまま地元新潟のWeb制作会社に就職。
しかし、「地方には珍しく学歴のある若者がきた」と思われたのか、社長から僕にだけ直接仕事の指示がくるようになり、プレッシャーに潰れまたもや1年で退職しました。
ブログアフィリエイトで月80万円稼ぐも転落
退職したあとは流石に落ち込みました。
「あぁ、やっぱり自分は社会不適合者だ」
1社目も2社目も1年ちょっとしか続けられない弱い自分。
もう経歴はボロボロだし、どこに行っても「根性無し」「すぐ会社を辞める奴」と認定されてしまう。まともな転職なんてできないに決まってる。
「ゴミすぎるだろ自分...」
というか、僕みたいなのはどうせ会社に入っても無駄だ。ひとりで生きていくしかない。ひとりで出来ることはなんだろうか...。
そこで、必死でGoogleで「インターネット 稼ぐ」なんて検索してるうちに見つけたのが、とあるアフィリエイト塾。
その塾は費用80万円で、ブログで稼ぐ方法を教えてくれるというもの。
怪しさ満点だったけど、「これしかない!!」と藁にもすがる思いで入塾。
その塾は、電子書籍サービスや動画サービスをアフィリエイトする手法を教えていました。
具体的には、とにかく電子書籍(漫画など)や映画のタイトルでブログを書きまくれ!というものでした。
1か月で100記事は絶対にかけ!という、記事を量産する手法。
当時の僕は、退職していたから時間だけはあります。
「100記事書けと言われたら、200記事は書くぞ!」
と、死ぬ気で記事を書きまくりました。
漫画や映画のタイトルでブログを書くのは、流行が過ぎると一気にアクセス数が落ちるので資産にならないと今では分かるんですが、当時はとにかく言われたことをひたすら守り、よくわからないまま記事を書きまくってました。
すると、開始3か月目ではじめてブログから報酬が発生。
その翌月には70万円、またその翌月は80万円とブログから収益がではじめたのです。
「よっしゃあああ!俺天才すぎるだろ!!勝った!!!」
と有頂天になってました。
家にいてブログを書いてるだけで金が入ってくるとか意味わからない。
最高すぎる。会社とか行くやつ馬鹿じゃねーの?
しかし、、、。
その翌月には、なんと収益が一気に20万円まで落ちてしまいます。
アフィリエイトの広告主が、1件あたり成約すれば入る報酬額を三分の一に変更下げたからです。
「えっ、え???」と頭の中がパニックになりました。
「そんなに一方的に報酬を変えるなんて鬼か!!」
と身震いしました。
とはいえ、まだ20万円稼げてる。
まだ大丈夫、まだ大丈夫、、、。
と思っていたら、その翌月には月3000円まで収益が落ちました。
僕のブログが、Googleの検索で上位に表示されなくなったためです。
80万円⇒20万円⇒3000円。
なにこのジェットコースター。いや、スカイダイビング。ふざけろ。
パソコン画面の前で放心状態になってました。
いままで600記事以上書いてきたブログ達は、もはや誰にも見られないゴミカスとなってインターネットの海の藻屑となってどこかに流れてしまいました。
いまはちゃんとビジネスを勉強してるので、プラットフォームや広告主に依存するビジネスをするのが危険だと分かるんですが、当時は「ふざけるな!俺の努力はなんだったんだよ...!」と泣きたくなってましたね。
そしてもう一度、同じ手法でブログを書いて稼ぐのか?
と考えた時、「あっ、ぜったい無理」と悟りました。
だって、また稼げたとしても延々とブログを書き続けないといけない。
それでいていつ稼げなくなるか分からない。
さらに、お金のためだけに誰の役にも立たない記事を量産することにも、モヤモヤがありました。
月収80万から一転、無収入になった僕は焦りに焦ります。
なんとか自分で稼がないと。
そう思って、ネットで検索したYouTube動画で稼ぐとか、仮想通貨が儲かる!とか、ブログで稼ぐ!とか、とにかく色んなノウハウに手を出しては結果がでずにすぐに辞めるというのを繰り返していました。
今振り返ると、小手先の「今すぐ稼げるノウハウ」に踊らされてましたね。
ここでようやく、
僕みたいな凡人は、1つのビジネスをしっかり学びやり切らないと稼げない
と学びます。
「簡単に稼げる」「楽して儲かる」「コピペでOK」みたいなノウハウに沢山手を出しても、ボロ小屋をいくつも建てるようなものでした。一瞬稼げたとしても、そのノウハウが廃れたらもう二度と自分の力で稼ぐことはできません。
ちゃんとビジネスの全体像や公式を学んで、ひとつのことを腰を据えて取り組んで初めて「自分の力」で稼げるようになります。
あぁ、やばい。もう貯金もなくなる。どうする?ネットで稼ぐのはもう怖い。就職するか?就職なんて僕にできるのか?どうせまたすぐ辞めちゃうんじゃないのか?
そんな時に、知人がゲストハウス(外国人向けの安い宿泊施設)をオープンしたという話を耳にします。
その知人にゲストハウスの従業員として拾ってもらい、なんとか月給4万円で生きながらえることに。
いや、ありがたかったですね。
、、、とはいえ、「さすがに給料4万は安すぎだろ!」ということで、自分で副業しようとMovie Hacksという教材で動画編集を学びます。
そんな時期にコロナの影響もありゲストハウスの客が9割減に。
お客さんがぜんぜん来ないので、スタッフが余っちゃいます。
そこでまたもや、僕は退職を申し出ました。
もう一度、今度はフリーランスで映像の仕事で、個人で食べていこうと思ったのです。
たまたまご縁のあったプロの映像クリエイターの方とつながりができたことで、なんとかフリーランスとして働くことに。
フリーランス=自由じゃないよ
さて、もしかするとあなたは
「フリーランス=自由」
みたいなイメージがあるかもしれません。
しかし、これは嘘です。
なってみたから言えるのですが、フリーランスエンジニアやフリーランスWebデザイナー、動画編集者、これらに自由なんてありません。しょせんは労働です。
プログラミングでも映像の仕事でも同じだと思いますけど、お世話になってる人から
「1週間後までにこの仕事頼めますか?」
と言われたら、夜中でも即返事をして鬼作業。
お仕事をむやみに断ったら
「頼みづらいな...。今度から別の人にお願いしよ」
と思われるかもしれません。
会社員と違い、不要だと思われればシビアに次回呼ばれなくなるのがフリーランスです。
フリーランスで、
自分が好きな時に好きな仕事をしてる人って、よっぽど権威性があったり人脈があったりスキルがあったりする「ごくごくごく一部」の人たちなんです。
上述のAさんなんて、エンジニア向けの技術書を出版してたレベルのスキル持ち。超レアケースだったんだと分かりました。
その域に達するのは、ちゃんとしたキャリアを積んだ超優秀な層のなかでもほんの一握り。
さらにお金の面でいうと、ある月は軽く数十万円稼げるときもあれば次月はほぼ仕事0...なんて時も。
そうすると、友達に飲みに誘われたり、趣味の旅行でもお金を使うのが怖くて行きづらく…。
だんだん
「あれ、自分はなんでフリーランスに
なったんだっけ?」
と疑問になってきました。
嫌な人間関係から逃げて
自由になれると思ってたフリーランスですが、
なかなか収入は安定しないし、ずっと働いてるし、誰かの顔色を伺ってるのは変わらない。
「翌月には仕事がなにもないんじゃないか」
「仕事がきたらきたで、徹夜で働きっぱなし」
そんな日々。
今だから分かりますが、フリーランスも労働者でしかありません。
世間のインフルエンサーやプログラミングスクールは良いことを言ってるだけで、時間とお金の両方は手に入らないし、選べない人間関係はついて回るのです。
寝てても月1000万以上稼ぐ20代を知り衝撃を受ける
フリーランスで不安な日々を送っているある日、
たまたまTwitterを見てると
「ほぼ働いてないのに毎月1000万円以上自動で収入が入ってくる」
という24歳の起業家という人を目にします。
「いやいや、さすがに怪しすぎるでしょ!笑」
と心の中でツッコミつつも、気になってそのアカウントを開いてしまう僕。
すると、僕が動画編集を学んだスクールの運営者にビジネスを教えた人と知ります。
「えっ、ガチなの?!」と驚愕し、思わずYouTube見てみるとちゃんと話の筋が通ってるしめちゃくちゃ勉強になる。
今だから説明できるのですが、
その人はブログやYouTubeとメルマガを組み合わせ、
自分が寝てても自動で商品が売れていく「仕組み」をネットに作ってたので
PC1台、たった一人で月1000万円稼いでいました。
それだけじゃなく、学習塾の経営や企業のコンサルなんかもしているとのこと。
寝てても月1000万円ってもう意味不明すぎるでしょ。
「僕がお受験勉強して毎日嫌な思いをしながら働いてたり、ブログを量産してたのは何だったんだ?
どうせ天才なんだろうな。」
と、ちょっと複雑な気持ちにもなりました。
でも、
「ビジネスで成功するには、センスは必要ない。正しい知識がありちゃんと行動すればだれでもできる。僕も昔はただの貧乏大学生だったから。」
と主張をしているのを聞くと、希望が見えてきます。
「マジかよ。センスが必要ない?本当に?」
「起業とかって、天才しかできないと思ってた。でも、知識を入れさえすればいいなら、ポンコツ扱いされ続けてきた自分にもできるかもしれない...」
勉強さえすれば誰でもできるという言葉に勇気づけられ、
「失敗しても死ぬわけでも借金を背負うわけでもないしな...」
と、自分もインターネットを使ってビジネスを始めることに。
たまたま月500万円以上稼ぐ起業家に教わるチャンスがあり、
そこからコツコツと自分もブログやYouTube、Twitterで発信を始めました。
そして、「フラッと平日5日間ドバイ旅行にいっちゃう」そんな生活を送ってる成功者たちの成功の理由がわかってきたのです。
ビジネスと出会い月6桁の半自動収益の仕組みをつくって
ブログで情報発信を始めて、開始2か月で見よう見まねで自分だけの「自動収益の仕組み」を作りました。
その2か月後には、仕組みから500円の収益が発生。
小さな小さな収益でしたが、自分のビジネスで生まれた500円の報酬は本気で嬉しかったですね。なぜなら、この500円を大きくすれば、労働収入とは違って時間も増えていくと分かってるから。
そのまま仕組みを広げていったら、次は5万円の商品が仕組みからポンッと勝手に売れました。その後は自分のコンテンツを作ったり、読者さんにビジネスのアドバイスをすることができるようになりました。気づけば仕組みからの収益は月6桁突破。
2021年の10月には最高月収で44万円を突破しました。
しかも、ビジネスを学ぶと、現実世界でもビジネスを見た時「あ、この飲食店もっとこうすれば売上のびるのに」とか、「あー、もったいないな。僕だったらこうするのに」と、分かるようになってたんです。
これ、ただ単に知識をいれただけです。センスや才能なんて関係ありません。
「ちゃんと知識を身につけて、行動していれば誰でもビジネスはできる」
という言葉は、本当でした。ちゃんと学べば、自分もお客さんに喜んでもらえることができるようになるし、それが収益になる。お客さんに直接感謝されるようになってから、本当の意味で自分に自信が持てるようになったんですね。
もちろん、会社員時代とは大きく生活も変わりました。
通勤もない。だから朝7時前に起きて、おっさんの体臭が充満した満員電車に乗る必要もない。嫌味と部下を晒し上げるのが趣味の上司にペコペコする必要もない。気の合わない同僚と嫌々会話することだってありません。
かわりに、朝は目覚ましをかけずにゆっくり起きて、パソコン1台もってひとり気ままにカフェで作業をするようになりました。発信を通して、自分と価値観の似た起業家仲間や読者さんと出会うことができました。
まーじでストレスがなくなりますね。あの会社員時代はなんだったんだ。エリート=正義だと思ってたけど、まったくそんなことはなかったんですよね。
なぜ情報発信するのか。もりおの理念
ビジネスを始めてから、
月500万円稼ぐ女性起業家とか、
最低でも月200万以上稼ぐスクール運営の社長とか、
ウェブの力を使って
仕組みをつくってる人と会ってきました。
みんな自分で働くというよりも、
勝手に人に価値提供して収益を生み出す仕組みをもっているんです。
それでいて、常に勉強をして、挑戦をしている。
彼らも決してもともと才能があったわけじゃなくて、
ちょっと前は工場ではたらく派遣社員だったり、
激務で身体を壊すただの営業職だったり。
つまり、ちゃんとビジネスの知識を学び、愚直に行動にうつして人生を変えてる。
僕が発信する理由は、
「会社で使えない奴」でも、ちゃんと勉強さえすればネットで自由を手に入れられるぞ
と、知って欲しいからです。
僕が情報発信を始めるとき、
「自分なんかがブログを書いても、誰もみてくれないんじゃないか」
と不安になってました。
もうすでに、
ビジネス開始1か月で月収100万円を突破しましたとか、
1年間で1億稼いでますとか、
そんな人にあふれかえっているので、
「会社ですら雑魚だったのに、
すでに稼いでる天才たちと同じ土俵にあがっても
稼げないんじゃないかと」
ってやっぱり半信半疑。
僕はメルマガを使ってビジネスしてますが、
「メルマガなんて誰も使ってないよ」
なんていう人もいれば、
「マルチとかネットワークビジネスじゃないの?」
なんていう人もいましたからね。
でも、勉強をすればするほど
現実は全く違うと分かりました。
実際、センス0知識0から
パソコンひとつでビジネスを
スタートした僕でも、
1年後にはちゃんとお客さんに
感謝されながら月6桁の
収入を稼ぐことができるようになり、
自分に自信もつきました。
しっかりと再現性のある
Webマーケティングなので、僕の受講生さんも
開始4か月で収益化させてあげることができました。
メルマガ読者さんも100名を突破し、
毎日のように感謝のメールや熱い質問なんかが届きます。
価値観の合う起業家の仲間もふえて、
一緒にごはんにいったり、作業会をしたりしてます。
会社員を否定するわけじゃありませんが、
毎日満員電車にもまれ、
死んだ目をしながら夜中まで
残業しているエリートたちよりも
ポンコツ扱いされていた僕の方が
遥かに幸福度が高い自信があります。
そんな僕の経験から、
「使えない奴」だった凡人が不労所得を得るための
ネットビジネス戦略をお伝えしています。
むしろ集団行動が苦手な
ポンコツだからこそできるビジネスだと
断言できますし、
今からだろうが正しい知識を学び、
行動にうつせばネットに不労所得の仕組みを作れるのです。
その詳しい方法については、メルマガで解説してます。
会社や組織に縛られず生きていける。
繰り返しになりますが、周りに流されてお勉強ばかりしていたけど「使えない奴」だった僕。
苦労して入った大企業で
「別に会社のために生きたくない。給料のために週5で嫌な職場に行くなんて我慢できない」
と感じてました。
人生には限りがあります。
たとえば、今は我慢して働いて、
お爺ちゃんお婆ちゃんになってから「世界一周してみたい!」と思ってても
その年齢まで生きてるかも、自分が健康かも、
その時に行く気力があるのかも分からないですよね。
ただ、「若いうちから平日に好きなように旅行する」とか「感謝されながら毎日楽しく働く」なんて、自分には縁のない世界だと思ってたんです。それも、不労所得でなんて。
でも違いました。
ちゃんとビジネスを学びさえすれば、
数学の公式にあてはめるように
「型」にそって行動すれば
本当に個人でもビジネスは全然できたんです。
僕はただ、「知らない」だけでした。
才能?
センス?
そんなものはいりません。
僕の周りのネットで稼いでる人も、
・1歳の子どもを育てながらのママさん
・元派遣社員の20代
・アラサーでビジネスを始めた元エンジニア
など、知識も経験もゼロからスタートした人ばかり。
副業からビジネスをスタートし、
1年で脱サラするという人も珍しくないです。
誰かに雇われて嫌々働くののではなくて、
自分の力をつけて、
会社で戦わずに気ままに生きる。
そんな人生を選ぶことが、
「使えない奴」の最大の逆襲だと思っています。
なので、すこしの勇気を出して
「正しい知識を学ぶ」
というところからスタートしてみてください。
・・・そんな感じで、
自己紹介をしてみました。
僕が100万円以上かけて作った「脱・労働セミナー」という無料動画のなかでは、
どうやったら個人がお金と時間の両方を手に入るのか、
具体的にどんなジャンルをせめていけばいいのか。
かなり詳しく解説しています。
メルマガ講座に登録すれば、10秒で動画を視聴できます。
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