もりおのこれまでと、理念

こんにちは。もりおと申します。
このページを開いてくださり、ありがとうございます。

ここでは、僕の自己紹介として

コミュ障・非モテ・無気力、コンプレックスまみれの僕が
お荷物ダメリーマンや借金800万円ニートの子供部屋おじさんなどを経て

週2時間労働で月収2200万円稼ぐ3社オーナーから
マーケティングを学んで自動収益の仕組みをつくり

自分の人生に胸を張りながら
自由を感じられるようになるまでの話

をしたいと思います。

内容を一部紹介すると、

・奨学金で借金800万円以上あるのに会社を1年で辞めニートになった話
・PC1つで月収100万円を超えて分かった「結果を出す人の共通点」
20代で月収100万円を超えてもまったく幸せになれなかった話
月収2000万円のメンターと出会い、メンタルが激変した話
・たった5時間で書いた記事で1300万円以上を売上げて見えたこと

というようなお話をしていきたいと思います。

僕は新卒で会社に入った時は、
ただのお荷物ダメリーマンでした。

自分の意見を否定されるのが怖くて会議で一言もしゃべれない。

自分のミスで
チームの2週間まるまる無駄にするなど。

先輩からは
「もりお君、いない方がマシ」「本当に大学出てるの?
と蔑まれ、邪魔者扱いされてました。

「俺はもっとできる人間だ!」というプライドと、
「邪魔者あつかいされ、何も成果を出せない」という現実のギャップで
鬱気味になり退職し、


スキルも人脈も才能もないところから、
なんとか個人で生きていこうと模索していった結果
今は在宅フリーランスとして生活しています。

わずらわしい通勤もありませんし、
嫌な上司もいなく、同僚の愚痴や悪口を聞くこともなく
ストレスフリーな生活が送れています。

(もちろん、コロナが落ち着いた後もです)

休みは自分で決められるので、
2週間くらいフラッと温泉街でのんびりしたり、
宮古島にシュノーケリングやパラセーリングをしにいったり、


牛タンが食べたくなって、
フラッとその日のうちに新幹線を予約して、
仙台にしかない人気店で「牛タン」と「牛タンのタタキ」を食べに行って、

ついでに、せっかくだからということで、
新鮮な「中とろ」「まぐろ頬肉」「カワハギの肝のせ」「いくら」「ウニ」や、
市場でさっきまで生きてた「生ガキ」を堪能したり。

旅行では、ウェスティンホテルや高級ヴィラに泊まって、プールで優雅に泳いだり。
(泳ぐの好きです)

目覚ましをかけずに昼間に起きて、
1日中好きな漫画を読んだり、
映画を見たり、

※ジブリ・宮崎駿さんを尊敬しています

出典:スタジオジブリ 公式より

家では集中できないので、
ゆったりとしたラウンジやカフェ作業をしたり。

 

そんな生活もできるようになりました。

これまで月100万円以上をブログで稼いだり
コンテンツ販売で月40万円以上稼いだり
5時間で書いた文章で1300万円以上を売上げたりしてきました。

コピーライティングを学んでからはチャンネル登録者2万人以上の方から
スクールの集客・運営サポートを
逆オファーをいただいたりもしています。

これら全て、インターネット上に文章コンテンツを置いておいているだけです。

それだけ、「インターネット×コンテンツの力」というのは絶大です。

実際に僕から文章を教わった人からは
ありがたいことに

「見える世界が変わった」

「一番分かりやすい」

「質・量とも圧倒的」

というお声もいただいています。

<お客様の声を一部抜粋>

これはたまたまそういう結果を出せというわけではなくて、
僕自身がこれまでガンガン自己投資をしてきたからです。

アフィリエイト塾、オウンドメディア構築コミュニティ、
芸能人ともコラボしているシリコンバレー起業家主催の強化合宿、
週2時間労働で月2000万円稼ぐマーケターに弟子入りなどなど、

これまで500万円以上、自己投資をしてきました。

※現金で100万円をメンターに支払った時の記念写真。手が震えました。

そして、「コンテンツ販売ビジネス」を始めて
上述の月2000万円稼ぐメンターと出会ってからは
「誇り高く、心に余裕をもって豊かになるメソッド」を教わりました。

今は地方に住んでいるのですが
近々東京へ移住し、素敵なご縁を増やしたいなと考えています。

僕は
『コンテンツ資本家』
と名乗ってます。

なんだそりゃ?という感じですよね。

説明しましょう。

コンテンツ資本家とは僕の造語なわけですが、
ようは、自分でつくったコンテンツに働かせて、お金を稼いでもらう人のことです。

知識や体験を、コンテンツという資産に変換して、
なるべく自分は働かず、一度つくったコンテンツに働いてもらうわけです。

そしてコンテンツ資本家とは、いい意味での怠け者です。

いい怠け者=時間労働・競争社会のレールから降りた人間

と僕は定義しています。

現代社会は

勤勉は正義
怠惰は悪

という前提がありますよね。

労働は美徳だ

みたいな奴です。

さらに言うと、

「仕事以外の時間は無駄」

みたいな風潮があるじゃないですか。

たとえば、
ゲームをしていると

「もっと有意義に時間を使いなよ」

とか、上司に言われたりする。

あるいは、仕事に追われているうちに、
中2の頃は徹夜で楽しめたゲームが、
社会人になってから楽しめなくなったと気づく

とか。

まぁ、ただ趣味が変わっただけならいいんですが。

実際には
余裕がなく、せかせかした日常を
強いられてる人が多いように思います。

僕は、この状況に

やってられるか、こんな社会!

って思ってます。

目の前の仕事で忙しく、疲れ、余暇を楽しむ気力がない。

人生ってそういうものなんでしたっけ。

断じてNOだと思います。

僕は、社会不適合者だから

積極的に社会のレールから降りてきました

一日2,3時間の労働で、
あとは自分を解放する時間。

そんなライフスタイルが理想です。

世間からみたら
怠け者
でしょう。

でも、
「時間を気にせずに、
 思いっきり自分を解放させてアツく生きる」

そういう仲間=”いい怠け者”を増やしたいと思ってます。

そのために、矛盾するようですが、
まずはインターネットの力を借りて、
徹底的に効率生産性を極めた稼ぎ方で豊かになるのです。

会社や飲み会、カラオケにすら馴染めない。

個人でサクっと経済的自立を達成して、
精神的に自由な遊び人になってしまう。

そんな、個人起業の”場”
つくりたいと思ってます。

だから、このブログでは、
僕の経験を交えた

内向的な人間でも、
個人でビジネスを始められた方法

資本主義でぶち抜く知恵、
心を豐かにしていく方法、
(陰キャでも女性にモテるノウハウ)


なんかをガンガン書いています。

是非興味ある記事からどんどん読んでください。

すべては
「いい怠け者」
になるためです。

どうせ努力をするなら、
合わない会社より、
収入の桁が1つも2つも上がる「個人」でやりましょう。

「個人でネットで稼ぐなんて難しそう」

「一部の特別な人しかできないんじゃないの」

と思った方もいるかもしれませんが、大丈夫です。

僕も

・やりたいことなし、自分の意見何もなし
・就活は第一志望群6社全て書類と一次面接で落ちる
・大学の卒業発表では、担当教員が僕のプレゼンを見て失望し、頭を抱える
・25歳まで彼女いない暦=年齢
・勇気を出して行った風俗で嬢に叱られるほどキモい非モテ
・会社では否定されるのが怖くて会議で一言も喋れないコミュ障
・飲み会の幹事がまともにできず上司に飲み会中に延々説教される
・会社を1年で辞めてニート。他2社も約1年で退職する社会不適合者
・奨学金で借金800万円
・初めてのブログは1年続けて0円。

と、ダメダメで情けない人生を送ってきました。

会社員が出来てる人であれば
その時点で僕より能力が高いです。笑

そんな僕がどうやってインターネットの力を使って稼げるようになったのかや、
変わっていった過程を
これから具体的にお話していきます。

『ラクに副業に成功して人生を変えたい』
『会社の理不尽な人間関係から解放されたい』
『ルールやしがらみの多い社会人生活がストレス』
『ゼロからコンテンツビジネスを学びたい』
『ブログをやっているけど、どうマネタイズすればいいか分からない』
『自分で戦略をたてて自走する力をつけたい』
『煽ったりや騙すのではなく、自信と誇りを持って幸せに豊かになりたい』
『お互いを尊重しあえる大切な仲間が欲しい』

と少しでも思っているあなたには
お役立ちできる体験談になっていると思いますので

ぜひ最後まで読んでいただけたら嬉しいです。

劣等感にまみれた学生時代

僕は、子供時代からずっと
「周りと馴染めない」
と感じていました。

それは、
親がしてくれた教育が
原因だったのかもしれません。

父親は昔ながらの人で
「言って分からなければ、体でいうことをきかせる」
というタイプ。

あと、
「働かざる者食うべからず!」
と何度もいわれてました。

 

そして母親は、教育ママ。

当時、放課後に友達と一緒に遊びたくても、
自分はスイミングがあるから遊べない。
次の日もソロバンがあるから遊べない。

そんな小学校生活でした。

最初は遊びに誘ってくれていたクラスメイトも

「あいつはどうせ、誘っても無駄」

ということで、誘われなくなりました。

クラスでは
任天堂64のスマブラが大流行していましたが

僕はゲームを買ってもらえず
まったく会話に入れず、
一人で教室にいるのが惨めでしたね。

それで、休み時間は図書館で
もう読んだことのある「はだしのゲン」を
何周もしていました。

ある日、たまたま
クラスメイトの家に遊びに行けたことがあります。

少年もりおは、ウキウキでした。
やったぁ、みんなと遊べる。
僕も「ここにいて、いいんだ」と。

その日、
スマブラをみんなでやりました。

ずっと、やってみたかったゲームです。
超テンションがあがります。

しかし。

友達のなかで、僕だけ、圧倒的初心者。


コントローラーを渡されても

操作方法も分かりません。

「え、どうすればいいの????」

チームに別れて戦ったのですが、
ソッコーでボコボコにされ
友達から「役立たず」「お荷物」扱いされます。

もう、泣きそう。

なんで俺だけこんなに違うねん。
皆、楽しそうでいいな。

その後は
「見てる方が楽しいから」
と言って、ひとりで体育すわりしてました。

ぼーっとブラウン管に映される
キャラクター達を眺めてました。

この頃から、疎外感を感じ
人とどうコミュニケーションをとればいいか分からない
と感じていました。

これは、中学に進んでも同じです。

僕の通ってた中学校は田舎の不良校でした。

知ってますか?
不良はヒエラルキーの一番上にいるんです。

コミュ障な僕は気づけば
不良たちのターゲットにされていました。

放課後、帰ろうとすると下駄箱に靴がない

毎日のように外履きを隠されたり外に投げられていたり、
冬の時期は雪を靴に詰められていたこともありました。

いじめられていることが惨めで恥ずかしくて
周りにバレたくなくて、

放課後になるとクラスメイトに会わないように
いつも一人でこっそり下駄箱に行ってました。

いじめの理由はよく分かりませんが、

「目がほんとキモイ」「おたく死ね」

というようなことをすれ違いざまに言われていました。

しかも、プライドが高く
コンプレックスをこじらせていた僕は
変なところで頑固でした。

「クラス全員で一丸となって…」
とか集団行動が超苦手だったのです。

たとえば、
合唱コンクールが嫌いで
クラスの一軍たちが楽しそうに
しているのがむかついて仕方がない。

なので、
放課後の歌の練習への参加を拒否し、
ひとりでサボってました。

「周りと違うことをしている自分、かっけえ」
と思ってましたね。

あと、今でも、
「なぜ、やりたくもない合唱練習を放課後や昼休みも強制されるのか?」が
サッパリ分からなかったのです。

皆そうだから。
学校行事だから。
こういう理由では、納得できませんでした。

それが当たり前だからとかじゃなくて、
自分でやることは、自分で決めたいじゃないですか。

その結果・・・

不良だけではなく、
クラスの女子全員からも嫌われるようになりました。

この時点で、狭い田舎の中学生にとっては
世界の7割が敵です。

戦略シミュレーションゲームなら、もう詰んでます。

ある日、クラスの女子たちが
8人くらいで僕を囲み、詰め寄ってきて、

「おい、のび太!調子乗んなよ!!」
「ふざけんな、死ねよ」

と、先生が仲介にくるまで
ひたすら罵倒され続けられたこともありました。

※のび太は、僕がポンコツ眼鏡だったのでつけられたあだ名です

ほかにも理科の授業で実験をする時、
同じ班のテーブルから人がいなくなったこともあります。

皆、僕が嫌いだから
他の班に
勝手に混ざって実験をしはじめてたんです。

僕は、ひとりで実験をしてました。

理科室で先生が実験の説明を終えて
「じゃあ実験を始めてください」
と言ったとたん、

汚いものと距離をとるように
全員が無言で他の班に合流していく。

そんなことある? 

って感じです。笑

この時期に

・自分は嫌われているがの当たり前
・ヒエラルキーの最下層がお似合いの生き物
・役立たず

という低いセルフイメージが脳みそに沁み込み、
自己肯定感を失いました。

このまま地元の高校に進学しても
同じ中学校の人たちがいる。

環境をリセットしたくて、
高校は寮のある地元から100km以上離れた
進学校を志望しました。

それに、
「勉強していい大学に入りさえすれば、
 全員見返せるはずだ!」
と、思っていたのです。

塾や学校の先生には

「今の学力だと厳しい」と言われます。

でも、
中学校の同級生と離れたい一心で
猛勉強し、なんとか合格しました。

その高校では不良もおらず、
周りも穏やかな人が多く
いじめはありませんでした。

ちなみに、
その高校は入学時に理系・文系に分かれる
すこし特殊な高校だったんです。

僕選択した理系クラスは
なんとクラスメイトの8割が男子

(文系のクラスは逆に、8割近くが女子でした)

ともかくクラスにいる
女子生徒の数は、両手の指で数えられる程度。

本当は女の子と仲良くなりたかったのですが
中学時代に染み付いたコンプレックスがあり

「自分みたいなキモい奴が話しても迷惑だろう」

「女の子と話して目立って、クラスメイトから浮いたら怖い」

というブロックがかかって行動に移せませんでした。

同じ寮に住んでいる同級生は、
夏祭りにグループで遊びに行って彼女をつくったり
部屋に女の子を呼び込んだりしてました。


そんな青春を謳歌しているのを傍目に見ながら、
僕は高校3年間をほぼ
女性と話すことなく終えます

女性に対して自信がもてず、

「僕のことを誰か愛してくれ、認めてくれ」

という承認欲求はどんどん肥大していってましたね。

「勉強して見返してやる」

その学校は、1日最低4時間の学習を強制していて、
おかげで僕は東北大学という大学の工学部に入学することができました。

大学は何も行動にうつせず堕落

もともと、僕は勉強が得意でも
好きでもありませんでした。

ただ、高校で1年生の時から、
普通の人の何倍も「やらされていた」だけです。

これまでの学校からの課題漬けの日々から解放され、
自由人並みの青春を謳歌できる。

そんなワクワクした期待をもって入学しましたが、
僕自身の性格はなにも変わっていません

むしろ、旧帝国大学という学歴を手に入れ
プライドと劣等感が入り交ざり
より面倒くさい性格になっていました。

大学を卒業後、大学院の修士課程まで進みますが
結局在籍していた6年間で、
同じ学科の友達はひとりも出来ませんでした

プライドは高いのに自己肯定感は低いので
アルバイトも

「自分は陽気な人たちと同じ
ステージに立ってはいけない」

「学歴が高い自分が
高卒の人に怒られたくない」

という屈折した思いから

誰とも喋らずただ駐輪場の
管理人室で座っているだけの警備アルバイトを選びました。

もともと勉強も好きでなく、
やりたい研究もなかった僕は


ただただ薄暗い木造アパートのベッドの上で
2chまとめサイトとアニメ・漫画を見ているだけの
ゴミみたいな6年間を過ごしました。

(大学時代の記憶はほとんどありません笑)

成績は常に留年スレスレで、
研究は担当教員が僕の発表の時に
失望で頭を抱えるくらい壊滅的。

社会性もなく学生時代に力を入れたことも
何もなかった僕は、就職活動では当然のように
希望していた会社を落ちまくります。

(面接ごとに”第一志望”がコロコロ変わる就活にも全く適応できませんでした)

「使えば大抵受かる」と言われていた
大学の推薦枠を使っても、平気で一次面接で落選していました。

自分はやりたいこともない。

これまでやってきたこともない。

周りを巻き込んだ経験なんて、当然ない。

社会には必要ない人間なんだ。
誰にも必要とされていない。

そう思い知らされました。

卒業する前になんとか教授の推薦で
就職できたものの

「いい大学に入っておいて
 誰も知らないような会社に

 お情けで入社させてもらっている俺は
 なんてダメなんだろう…」

とひどく惨めに感じる日々を送ります。

借金700万円を背負ったまま1年で会社から逃げる

周りから大分遅れて、なんとかメーカーに就職できましたが

社会人になってからも

「自分は使えない人間」という劣等感
「でも学歴はあるし優れているはずだ」というプライド
あわせもつ厄介な人間性は変わりませんでした。

「自分は何もできない」

「自分は素晴らしいはずだ」

この2つのギャップが
僕をさらに苦しませることになります。

自分では、妥協して入ったつもりの会社。

でも、そんな会社で同期もふくめて
自分が圧倒的に仕事ができなかったのです。

会議で意見を聞かれても、何も自分の考えがなくて答えられない。
否定されるのが怖くて、なにもしゃべれない。

実験をすれば、設定を間違えて丸1週間以上無駄にする。

飲み会で自己紹介をふられても「あ…えっと…」とドモってしまう。

二次会のカラオケでは、流行の曲が分からず1曲も歌えない。

先輩たちからは
「いない方がマシ」「学歴詐称なんじゃないの?w」「もりお君、やばいよ」
と何度も、何度も言われ、見下されてました。

なんで皆、自分の意見があったり
気の利いたことをパッと返せるんだろう。

そう思ってました。

仕事はというと、当時ゴムの摩擦を調べるために
ひたすら金属の板にゴムを押し付けて動かすという実験をしていました。

もちろん立派な仕事ではあるのですが、
朝から晩まで実験室にこもって機械に向かうだけ。

実験結果も自分ではどう処理していいか分からず、
上司が怖くて相談もできずズルズル時間だけが過ぎていく。

そんな悪循環が起きてました。

大学の同級生たちが

・国を動かす官僚

・20代で1000万円以上稼ぐ外資系企業

・誰もが知っている世界的大企業

・東大でアカデミックの道へ進む

などなど、華々しい道を歩んでいるのと比べて、

マイナーな誰もしらないような会社で
使えない人間と見下され
ひたすら会社とアパートの往復をしている生活。

何もできるようにならないまま、
何も成し遂げないまま同級生たちとは差を広げられ続け
誰にも必要とされず一人孤独に死んでいくのか。

そう思うと、とてつもない虚しさに襲われていました。

飲み会では先輩や上司に

皆の前で

「もりおは彼女いるのか?いない?お前もっと服装も気を付けたほうがいいぞw

 せめてちゃんと喋れるようになれよwww」

と笑われて、

本当は悔しいのにヘラヘラしてその場をやり過ごす自分が情けなくて
家に帰ってから悔しくて泣いてました。

精神的に参った僕はとある作戦にでます。

今まで自分の人生には女性との接点がなかった。

だから自信が持てないんだ。

でも、彼女をつくるなんてどうすればいいか分からない。

行きつく先は風俗でした。

女性に慣れたい。なにより優しくされたい。

癒されたい。

ドキドキしながら電話をして予約し、
当日お店へ向かいました。

緊張しながら待合室で座っているとスタッフから呼ばれ
女の子とご対面します。

そこには

垂れ目でおっぱいの大きい、可愛らしい女の子が待っていました。

これからこの子と夢のような時間を過ごすのか。

ウキウキしていた僕。

一方で、その子には笑顔はなく、
あきらかにつまらなそうにしていました。

あれ?

自分は客なのに、すごいぞんざいに扱われている。

いざ行為を始めた時もトラブルが発生します。

その子に

「胸をなめて」と言われたのですが、
どうすればいいか分からずパニック。

経験がないのがバレるのが恥ずかしくて

「いや~、舌が短くて舐めるの苦手なんだよね」

と意味不明な言い訳をして誤魔化しました。

女の子は呆れて、ため息をつきます。

「いや、私も舌短いし。普通だよ」

「もっと人と遊んだら?勉強ばっかりしてきたんじゃない?」

癒されにきた風俗でも現実をつきつけられ、
僕のムスコはすっかり萎えてしまいました。

結局、時間がたっても回復せず
その子にガシガシと手で乱暴にいたされて終了時間となりました。

あぁ、会社の人だけでなく、
お金を払ったプロの女性にも
こんな風に相手にされないのか。

自分のダメな部分を認めたくなくて、
見せたくなくて、

自分のメンツを保つための嘘までついて、
でもそれも当たり前だけどお見通しで恥をかいて。

ださいなぁ、痛いなぁ。

自分は本当に誰にも必要とされないんだ。

他の人が当たり前にやってきたことを
24年間なにひとつできてこなかった。

お店から出て、家に帰る道で
自分の人生に深く深く絶望していました。

「今まで何してきたんだろう。惨めだなぁ。寂しいなぁ」

「自分は無価値だ」

「いなくなった方がいい」

「ここから逃げ出したい」

自己肯定感はますます下がり、その後
朝起きるのが辛く布団から出れなくなり

道路で走っている車に飛び込むことばかり考えるようになりました。

その後、流石にこのままじゃまずいと、逃げるように1年で会社を辞めました。

「使えない人間じゃなくて、ちゃんとスキルを身につけたい」

1社目でボロボロに言われていた僕は
スキルをつけると決意します。

「スキルがあれば、会社でも重宝されるはずだし
会社を辞めても社会から求められるはずだ」

今のままじゃ再就職も難しいだろうし、
会社に入れてもどうせまた同じように「使えない奴」になる。

僕は大学に奨学金で通っていたので
大学と大学院をあわせて700万円ほど借金がありました。

そのほとんどが残ったまま
ノープランで会社を辞めたので超焦ります。

退職後の手続きでハローワークに行くと

「Webデザインの職業訓練」

をたまたま目にしました。

これだ。

すぐに職業訓練に申込み、4か月でWeb制作を学びました。

もちろん、デザインやプログラミングは
まともにやったことはありませんでしたが、

「自分で生きていく力をつけている」

という実感があり
大学時代よりも充実していました。

そんなこんなで、
訓練期間が終わるころには講師の斡旋で
地元のWeb制作会社に就職することになりました。

最初は見習いから始まって、
半年くらいたってようやく仕事も覚えていき
無事、正社員として本採用。

正式に配属が決まった先は、
新商品を開発する部署でした。

自社でサービスを作るという部署ですね。

で、そこで1から部のメンバーと一緒に
サービスの改善案をつくったりしたのですが
全くうまくいきませんでした。

いつまでも赤字をたれ流し、
毎週ある定例会議では社長から怒られ続ける。

部の会議で、今後の方針を話し合う時も

「自分は使えない人間だから、意見を言っても邪魔になるだけ」

と、前の会社で培ったマインドブロックがかかり、何も意見が言えませんでした。

毎日のように夜中の1時2時までサービス残業をしても何も結果が出ない。

そんな日々が続いて1年ほど経った頃、
また僕の心は「ポキッ」と音をたてて限界を迎えました。

会社に行くのがつらい、社長や部長の顔を見るのが怖い。

心療内科に通いますが一向によくならず、
またしても会社を1年半ほどで退職してしまいます。

怪しいアフィリエイト塾

Web制作のスキルを身につけたけど、
結局激務とプレッシャーで押しつぶされただけじゃないか。

給料も安かったし、拘束時間も長い。

働き方を根本的に考えないといけない。

無職のありあまる時間で必死にGoogleで
コミュ障、一人でもできるお金稼ぎの方法を調べました。

そこで

「アフィリエイト塾」を見つけます。

(アフィリエイトとは、
 自分のブログなどで商品を紹介して
 売れたら売り上げの一部を報酬として受け取るというものです)

お値段は80万円。

高い。怪しい。

怪しすぎる。

でも、アフィリエイトについて調べると
本当に月100万円稼いでる人もいるようでした。

なんで?と思いました。

そうです。

ブログは
一度書けばネット上に残るので

ブログでお金を稼げれば
自分が動いてない時でも
24時間ずっとお金を生み出し続けてくれる

これなら、一人で稼げて時間も手に入って、
しかも物を売るというスキルも身につく。

「別の会社に入っても、きっとまた潰れるだけだ。これしかない」

奨学金もまだ800万円ちかく返済が残ってましたし、
貯金残高も日々なくなっていく。

80万円という人生で一番大きな買い物に
手を震わせながらも、塾に入りました。

アフィリエイト開始1か月後で絶望

講師からオススメ商材とブログの作り方を教えてもらい
一生懸命ブログを書きました。

最低でも1日1記事。

たしか1か月で50記事以上書きあげましたね。

で、売り上げがどうだったかというと・・・

0円でした。

書いても書いてもアクセス数はよくても50。

誰にも読まれず、
読まれても即離脱されるだけの記事を
ひたすら書き続けていました。

まるでゴミ箱に向かって
自分のお金を投げ続けているような気分です。

「このまま続けても、結局稼げないんじゃないか」

これまでのバイトや会社員と違って
サボっていてもお金がはいってくる保証はありません。

「このままだと、またボロボロになる
会社員に逆戻りだ!」

自分のやっていることが
成功に近づいてる気がしなくて、本当に怖かったです。

常識が破壊される

どうしたら売れるのか分からなかった僕は
焦りました。

なぜ上手くいかないんだろう。

何が悪いんだろう。

何の知識もなかったので、原因が分からない。

藁にも縋る思いで
講師にアドバイスを貰うことにしました。

「うまくいってる人を真似しましょう」

「ブログ記事を沢山書きましょう。
 僕は初めの頃は月100記事くらい書いてましたよ」

と、講師。

それまで、
何となく自己流で記事を書いていたんです。

アドバイスを聞いて
Googleの検索上位にきているブログを観察すると
色々なことに気づきました。

タイトルはみんなこのキーワードを使っているな

記事の最初には必ずこういう内容がくるな

トップページの文章量はこれくらいだな

サイドバーには必ずこれが書いてあるな

パターン、つまり「型」があることに気づいたんです。

学校で習ったり、教科書や参考書で学ぶのではなく
実践的に結果が出ている人たちの使っている「型」。

今まで思考停止で書いていた記事を
1つずつ型に沿って文章を組み立てていきました。

そして、
講師の基準値を真似して自分も記事の数をとにかく増やしたら
本当に検索上位にあがりはじめたのです。

そして、2か月後にはとうとう2,500円の初報酬があがります。

「自分で0から考えるんじゃなくて
うまくいってる人の真似をするのが近道なんだ」

会社や組織の力ではなく、
自分の力で稼ぐ。

しかもブログという自分が寝てても
働いてくれるツールで稼いだことで、
作業が楽しくなってきました。

「記事を沢山書きさえすれば稼げる」

という自信がついていき

「自分が結果を出すのは当たり前だろう」

というところまで、自信をとり戻しました。

そして、気が付けば
3カ月後には月収80万円、
4か月目には月収100万円をこえました。

毎日、メールを開くと報酬の通知が届くので
ニヤニヤしながら報酬画面を眺めていましたね。

ダメダメだった俺が
自分で月収100万円かせいでいる。

しかも、寝ている間にも決済通知が止まらない。

もうサービス残業やつまらない飲み会も僕の人生には
必要ないんだ。

胸の内側から、熱いものが沸き上がってきます。

“会社を辞めたら生きていけない”

“年功序列で我慢をするかわりにお金がもらえる”

こういった固定観念がガラガラ崩れていきました。

僕がやったのは
インターネットの力を使い、
自己流を捨ててうまくいってる人の真似をしただけ。

そのおかげで
“いない方がマシ”と言われ、
会社で何の価値も生み出せず

無職借金800万円だったところから
月100万円をじぶんで稼ぐところまできたのです。

苦労=対価ではない

会社を1年で辞めるを繰り返していた僕が
3か月で80万、翌月も100万円稼いで得られたのは

自分でも正しく学びコミットすれば結果が出せる
という自信です。

この時、
はじめて「やらされる」でもなく
「主体的にやる」ことで結果を出したのです。

ただ怒られ、役に立てず
負い目を感じながら会社からお給料をいただいていた時と

自分でお金を稼いでいるのでは
自己肯定感がまったく違いました。

「俺もやればできるじゃん」

「お金に余裕ができたし、旅行に行きたいな」

「今なら同級生に会っても胸をはれるぞ」

スキルを身につけ、
会社に依存せずに自分の力で商品を売り

その対価として月収100万という
同年代の人たちよりも多くの報酬を得た。

そのことが、本当に誇らしかったのです。

おなじアフィリエイト塾の人は
こぞって僕を頼ってくれました。

何を考えて記事を書いているのか

ブログの添削依頼

狙い目のキーワードや商品の選定

これまでだったら、
誰かに頼られるなんてことはなかったので

誰かの力になれることも
すごくうれしかったです。

僕はこの経験から、
いままでもっていた「お金に対する考え方」
ガラッと変わりました。

自分の時間の対価に報酬をもらう
会社員のような働き方ではお金持ちにはなれず
時間も手に入らない。

一方で、
会社では使えない奴あつかいされていた僕が
20代で月収100万円をこえている。

「時間労働ではなくて、
インターネットを使ってバレッジをきかせる」

これだけで、見える世界も得られる報酬も大きく変わったんです。

ほとんどの人が

「明日も仕事だ」

と愚痴をいいながら夜中まで働き

ストレス解消といって決まった額のお給料を
ただお酒や娯楽で消費する。

これが模範的な社会人のように言われているけど、
本当にそうなんだろうか?

周りに流されるのではなく
「成功者のもっている考え方」に近づかないといけない
ということが分かってきました。

月100万円から地獄を見て人間不信に

そこからは3か月くらいは
人生でもっとも過激な時期でした。

会社で身を縮めて息をひそめ
コンプレックスを熟成させてきた男、

彼女いない歴=年齢だった男が
いきなり月100万円稼ぐとどうなるのか。

歯止めがきかなくなっていきました。

たとえば、何も働かなくても
ブログが稼いでくれるので
時間も比較的ありました。

天狗になった若者が何をするかというと、金遣いが荒くなる。

早速、同じアフィリエイト塾の仲間と
平日にフィリピンに旅行に行きました。

そこでは
お金を気にせず豪華なホテルに宿泊し

夜のお店で女の人を連れ出し、
仲間と4Pしたりなんてことをしていました。

帰国後も
ずっと欲しかったパソコンを買ったり
女の子を誘って遊んだり。

何不自由なく、好きなことをやれている。

以前のように、自分が惨めだと感じることもありません。

そんな一見充実した日々が続いた時に

事件が起きます。

それは、僕のブログの収益が一気に
100万円→20万円→3千円まで落ちたのです。

原因は、広告主が報酬を1/3に減らしたこと。

そして、
書いていたブログが
検索結果の上位から消えたことでした。

え??どうしよう???

コツコツと積み上げたものが一気に吹き飛んだ。

収入がなくなり全身の毛穴からじわ~と嫌な汗がふきでました。

また、お金に悩む生活に逆戻りするのか。

絶対に嫌だ。

もう一度、新しくアフィリエイトのための
ブログ作ろうと思いました。

でも・・・。

まったく力が湧いてこなかったんです。

それは

「自分のやっていることに誇りを持てなかった」

から。

「ただ報酬がいいから」

「売りやすいから」

そういう理由だけでアフィリエイトの商品を決めていました。

それが、
誰の役に立っているのか。

自分がやっていることが
社会にとって有益なのか。

そんなことを考えていませんでした。

ただただ、
商品リンクをクリックさせるためだけのブログ。

世の中で必要のないものを
無理やり作って、余計な仲介マージンをとっている。

クリーンな稼ぎ方じゃない。

そんな気持ち悪さを感じてしまい
身体が動かなかったんです。

さらに、悲劇は重なります。

稼いでいい気になっていた僕は、
当時信用していた人に130万円を預けていました。

いわゆる、“おいしい投資話“です。

しかし、
その投資話は気づけば消え
その人とは連絡も途絶えました。

当時の僕は完全に調子にのっていたので、
紙面の契約書を交わしたりといった
当たり前のことすらしていませんでした。

(後で分かった話ですが、
その人は裁判をおこされている“グレーな詐欺”の
常習犯で、被害者の会があるような人でした)

お金は稼いだだけすぐに使っていたし
収入はないし
あっという間にまたどん底に落ちました。

これでは生きていけない。

就職するあてもない。

目についたものに手を出し迷走

なんとか、知人のつてで
住み込みスタッフとして働きましたが
この時、自己肯定感が0にまた落ちていました。

なぜなら
手取りが4万円だったからです。

昨年の税金を払うためだけに
お金が消えていきます。

やりたいことなんて何もできません。

このままでは、一生時間もお金も手に入らないままだ。

でもブログは不安定で怖い。

どうする?

どうする??

考えていきついた先は、
副業で映像編集を始めることでした。

時間給ではあるけれど、
ネットを使ったビジネス=不安定
という経験から

働いた分だけ稼げる仕事が逆に
魅力的に感じたんです。

毎日寝る時間を削りスキルを身につけ、
ご縁がありプロに直接師事を受ける機会をもらい

約1年で地上波CMの編集などに携われるまで成長し
フリーランスとして独立することができました。

ところが・・・。

分かってはいたことですが、
映像編集も納期に追われる仕事。

連日朝の2時まで作業する日々が続き、
さらに苦労して作ったものが

企画自体がボツになった時
とてつもない徒労感を感じました。

あぁ、
遊びたいのを我慢して
体力の限界まで頑張ったのに・・・。

自由だと思っていたフリーランスも
全然自由じゃない。

仕事もいつ無くなるか分からないし
収益も安定しない。

やっぱり
時間労働だけではダメだ。

レバレッジが効き
自分の時間がもてるビジネスじゃないと。

一度アフィリエイトでおいしい思いをしたからこそ、
自分の寝る時間を削りやりたくないことをやるというのが
我慢できませんでした。

自由になりたい。

お金の不安から解放されたい。

でも、どうすればいいか分からない。

迷走しまくりです。

損得勘定でしか人と繋がれない虚しい毎日

たまたまTwitterで

「コンテンツ販売ビジネス」

を知ったのはそんな時でした。

コンテンツ販売ビジネスは、

「ネットでコンテンツを販売し、収益を得る」

というもの。

アフィリエイトとは違い、
自分でコンテンツ=商品を作って販売するので
広告主に依存しない。

メルマガやLINEで顧客リストを取得するので
売上が安定する。

そんなことを知りました。

なんだって?

僕がブログアフィリエイトで失敗した点が
すべてクリアできるじゃないか。

自分が求めていたのは、これだ。

僕はまた教材を買ったり
コミュニティに入って学び、
「とにかくやる」の精神で数をこなしました。

映像の仕事をやりながらも
ブログ、YouTube、Twitterを
コツコツと更新しました。

その結果、半年後には
自分の書いたメルマガから
売上が発生するようになったんです。

ただ・・・。

またもやメンタルを病んで
映像編集をしているだけの時よりも
さらに無気力になり嫌気がさしていきます。

それはなぜかというと、
コンテンツ販売でもブログアフィリエイトと同じように

「胸をはったビジネスができていない」

と感じてしまったからです。

ただただ自分の商品を売りたい。

収入をあげたい。

収入の乱高下を繰り返すなかで
「目の前のお金」への執着が高く

自分の都合よく人を動かして
お金を稼ぎたいという思考になっていました。

そこには思いやりなんてなく、
お客さんのことを「数字」「お金」としか
見えていませんでした。

自分で作った商品も

「本当にこれで、人生を変えられるのか」

と自信がもてず

「親や兄弟、大切な友人にも誇れる売り方をできているのか」

プロモーションのたびに言うことをコロコロ変えて
煽り、騙すような売り方が気持ち悪くて仕方なくなりました。

もう、ビジネス辞めようかな・・・。

どこか、静かな場所でひっそり消えてなくなりたい・・・。

お金を稼ごうと思えば思うほど幸せが遠ざかっていく気がして、
もう人生そのものをログアウトしようかとも思いました。

ここでようやく

「自分はちゃんと胸をはって、美しく稼ぎたい」

と思ってることに気づいたんです。

でも、それは不可能なんだろう。

だから皆、プロモーションのたびに煽って
時に嘘をついてまで本音と建て前を使い分けて売りつけてるんだ。

それが資本主義ってもんだろう。

ただお金を稼ぐのが上手いだけになりたいわけじゃない

「気持ち悪くて、もう自分の商品を売れない」

そんなところまで来ていました。

風向きが変わる:週2h労働で月2000万稼ぐメンターとの出会い

そんな風に、ビジネスから足を洗おうとしていた人生に
大きな変化が起こります。

それは、
今もメンターとなっていただいてる人との出会いです。

ある日、
同じくコンテンツビジネスをしている仲間が

「すごい人がいる」

と言ってるのを目にしたんです。

とんでもない質のコンテンツを作ってる人がいると。

週2時間の労働で、月収2200万円を稼いでいるマーケッター。

今はもう、表での活動を控え
資産形成のフェーズに入っている方です。

僕は

「ふーん、
 そうは言ってもどうせ
 煽って、騙してお金をとるんでしょ」

くらいにしか思っていませんでした。

ただ、
今のままではダメだという想いもあり

その人のコンテンツを開き
後にメンターとなる人との運命の出会いを果たしました。

ネットビジネス開始初年度から2000万円稼ぐ

印税だけで800万円稼ぐ

インフルエンサーからのコンサル依頼

そういった実績が
「あ、本当だ」と思える濃厚なコンテンツでした。

いや、コンテンツで紹介されてたテクニック自体は
知っている内容も多かったんです。

だけど。

どうやって
テクニックを自分の発信に落とし込むのか。

教材を一通りやれば、
知識を使えるようになる作りになっていたんです。

ちゃんと自分が成長しているのを感じる。

嘘みたいな話だけど、
パーーーッと目の前が開けました。

長い間、暗闇の中を手探りで
迷路をさまよってた僕に

「電気つけなよ」

って、ポッと明かりをつけてくれたような感覚。

しかも、その後やりとりをする中で
決して煽ったり騙したりすることもなく

先を示してくれる強さと暖かさ
の両方をもっていたんです。

これまで僕は、

「自分が相手をコントロールしよう」

という目線で見ていました。

でも、そうするとだんだん周りの人も

「自分のことを利用している人」

に見えてくるんです。

「あぁ、また薄っぺらい利益誘導で
 俺を利用しようとしているのね」

「もういいよ、どうせ質の低い
 コンテンツを売りつけたいだけだろ」

「はいはい、情報商材屋さんの詐欺ね

そういう、これまで出会ってきた

「利害関係だけでつながっている」

「心から繋がっている気がしない」

人達とは、まったく違いました。

本当に相手の成長を考えて、
自分が稼ぎたい!だけじゃなくて、相手を豊かにさせる。

「本当に役に立つのかな」

「学べることがあるのかな」

教材を見る前に考えてた
心配なんて
一気に吹き飛んでいました。

そして、コンテンツを深く学んでいくと
視座の高さビジネス戦略の深さに圧倒されました。

僕が1つのノウハウを見て知った気になっていたことでも
その人はその背景や普遍的な人間心理をおさえているので
数百倍は深く理解し、使いこなしている

僕は「表面上のノウハウ」を知っているだけ。

彼は

「人はどういう生き物か」

「世界はどうやって動いているのか」

という洞察と知見をもっている。

短期的なトレンドや、1年後にはすぐ使えなくなるような超具体的な手法ではなくて、
10年後も100年後でも通用する、時代を超えた本質と自分で稼げる脳みそを持っていたのです。

直接会ったことはなくても
その知識の量と世界の捉え方が
「この人は本物だ」と伝えていました。

実際、彼のコンテンツから
普遍的な人間心理を捉えたライティング術を学び、
たった1記事で累計100万円以上稼ぐことができました。

数うちゃ当たるという
質の低いコンテンツを量産する方法しか知らなかったので
あまりのレバレッジのききかたに衝撃を受けます。

ほかにも、
商品企画を学び自身で商品プロデュースとコンテンツ販売を行ったところ
月収44万円とお客様の満足度平均9.7点(10段階)を獲得。

あきらかに、世界の見え方が変わってきたんです。

彼はコンテンツでもチャットのやりとりでも、繰り返し

・自分と顧客の両方が幸せになるために商品を売る

・その人にとって絶対にいいと自信がもてるものを何としても売る

・美しく稼ぐというやり方はあるんだよ

・もりおさんは素晴らしいんだよ

といってくれました。

僕はこれまで、

「自分が儲かりそうかどうか」

という視点しか持っておらず

「よいものを売る」という経験がなかったので

本当に衝撃でした。

「もう、煽ったり騙して、お客さんにも自分にも

嘘をついたビジネスをしなくていいんだ」

ものを売るには、汚いこともしなければいけない。

成功している人は、みんな汚い。

だから稼げている。

でも、その人は
決して否定をしないし、

いつも暖かい言葉をかけてくれるし、
勇気づけてくれる。

ありのままの自分を祝福する暖かさ

「自分の利益のために稼ぐ」

という価値観で生きてきた僕よりも

「幸せを与える」

という彼の方が何十倍もお金を稼いでいる。

迷走だらけのこれまでの人生で抱えてきた

「自己肯定感が低く自信がもてない」

「時間労働が辛くて、やりたいことをやれる時間が欲しい」

「好きなことに使えるお金が欲しい」

「煽り騙すような売り方はしたくない」

「利害関係ではなく心から繋がれる人と仲間になりたい」

こういった問題を解決してくれるのは
この人だと確信しました。

僕は、得難き人に出会えたんだ。

「この人の言うことなら、
 今までの自分を全部否定してでもやりなおしてみたい
 僕もこの人みたいになりたい」

そう思えたんです。

その後
運よく弟子入りすることができ

直接超ハイレバレッジなコンテンツビジネスを
学ぶことになりました。

(その人はずっとコンサルを断り続けてきており、
もう表舞台からいなくなるという
最後のタイミングで本当に運よくご縁をいただきました)

メンターから学んだ「ノウハウよりも大事なこと」

その人と直接やりとりをしながら学ぶ中で
僕の中で少しずつ変化が起きてきました。

それは

「セルフイメージの上昇」

です。

これまでは
常に焦りがあったり不安があったりして
何をしていても楽しくありませんでした。

そこに

「幸せに稼ぐ」

という思考をガンガン流しこまれました。

思えば、僕はすぐに誰かと比べてしまっていました。

テストで人よりいい点数がとれれば「自分は素晴らしい」

他の人より仕事ができなければ「自分はダメだ」

同世代よりお金を稼いでいれば「自分は素晴らしい」

また稼げなくなれば「自分はダメだ」

これだと、
自分より凄い人が1人でもいれば、


すぐに自己肯定感が落ちて
グズグズになってしまいます。

そうではなく、
自分で自分自身を満たし自信をもち
胸をはってビジネスをする。

ただ「ビジネス」を教わるのではなく
「人生」の捉え方と融合した教えをしてもらいました。

もちろん最初は

「抽象的な人生論はいいから、稼げるノウハウを教えて欲しい」

という思いもありましたが

「億万長者は、お金や世の中をどうみているのか」

「世の中の経済の動き方」

「人間の心理」

「この世界をどう捉えてビジネスをすると豊かになれるのか」

そういった抽象的な概念のなかに
ポンポンポンッとノウハウを配置していくことで
不思議なことにビジネスの満足度も高くなり

「もりおさんは腹落ちさせる天才ですね」

「ファンです」

なんていう声もいただくようになったんです。

(なかには、青森から東京まで新幹線で会いに来て下さる方もいました)

自分自身が満たされているから
人の幸せのために自然と何かができる。

「誰か俺を認めてくれ」

「目先の金が欲しいから、他人をコントロールしたい」

と思っていた時とは、人生の豊かさがまるで違うのです。

過去の僕のように
自尊心が傷つき
承認欲求に溺れている方。

人間関係がうまくいかず
自分の力で稼ぎたいと思っている方。

お金欲しさに色んな稼ぎ方に手を出すも
ノウハウが増えるばかりで
ちっとも成果を出せていない方。

騙したり、煽ったりせずに
自分も相手も最高に幸せになるために
ビジネスをしたい方。

そういう人が
プロフェッショナルとなり自分に自信を持ち
人生が豊かになっていくように導いていきたい。

そう思って日々、
学び研鑽しています。

この場所に込めた想い

このブログのコンセプトは

「桃源郷を、つくる」

です。

これはビジネスというよりも
人生そのもののコンセプトでもあり
苦しんでいるあなたに伝えたいメッセージでもあります。

「桃源郷を、つくる」
とは、自分にとって平和な、選ばれた人だけが入れる、豊かな別天地をつくる、ということです。

それが、
僕の言う「桃源郷」です。

まず最初に、
この桃源郷を形づくる
ひとつ目の要素について話します。

それはです。

ここで言う富とは、
お金の多さだけではありません。

・生活の不安が減り
・時間に追われなくなり
・心に余白が生まれること

不安が強い状態では、
人はどうしても視野が狭くなります。

今日の支払い。
明日の生活。
老後の心配。

先の見えない焦り。

そういった不安が強いと、
本当は好きなことをしていても、
心のどこかで落ち着かない。

僕自身、
経済的に不安定だった頃は、

ゲームをしていても、
漫画を読んでいても、
心の奥でずっと焦っていました。

でも、
「つくったコンテンツが資産として残る」
という感覚を持てるようになってから、

少しずつ、
日常をちゃんと楽しめるようになっていったのです。

まずは0→月収30万円を達成して、
その後は100万~300万円くらいサクッと自動で入ってくる仕組みを、一緒に作っていきましょう。

次に大切なのが、

です。

ここで言う知とは、
教科書の暗記や資格の話ではありません。

自由に生きるための知識と、
物事を立体的に考える力。

世の中を
短期的・感情的に見るのではなく、

歴史や背景、構造を踏まえて
「今、自分はどこに立っているのか」を
考えられる力です。

この力が育つと、
他人の言動に振り回されにくくなります。

誰かを下げることで
自分を保とうとしなくて済む。

学ぶことが、
そのまま人生を豊かにしていく。

そんな循環が生まれます。

三つ目は、

です。

徳とは、
道徳や信用、品性のこと。

稼ぐために
誰かを騙したり、
煽ったり、
負い目を感じながら仕事をする。

そういう状態では、
どれだけお金が増えても、
心は荒れていきます。

自分の仕事を
「これが俺のやっていることだ」と
胸を張って言える。

人として削られない生き方を選べる。
自分の譲れない美学を優先させる。
それでも、余裕で月7桁万円は稼げてしまう。

これが、
桃源郷における徳です。

四つ目は、

和。

ここで言う和とは、
馴れ合いとか、集団行動をすることではありません。

・学んでいる
・実践している
・創っている
・理想を語れる
・でも、地に足がついている

そういう人たちと、
同じ空気を吸えること。

僕は、
悪口や愚痴や冷笑が
当たり前の環境に、
強い違和感を覚えてきました。

だからこそ、
人を引きずり下ろさない空気で、
挑戦や失敗を思いっきりできる場所

自分でつくりたいと思ったのです。

最後に、

遊。

遊びとは、
ただ怠けることではありません。

余白があり、
創造性があり、
「つくること」を楽しめる状態

仕事と遊びが分断されず、
学びがそのまま制作につながり、
制作が資産として残っていく。

この循環が回り出すと、
人の瞳は自然と輝き始めます。

富・知・徳・和・遊。

この五つが、
同時に増えていく状態。

それが、
僕の考える「桃源郷」です。

このブログでは、
完成された成功談だけではなく、
試行錯誤の途中も。

コンテンツをつくり、
資産として残し、
人生を静かに変えていく方法を
記録していきます。

もし今、

・ただ現状を嘆く側から降りたい
・でも、どうしたらいいかわからない
・まっとうに、豊かになりたい

そう思っているなら。

ここは、
あなたのための場所です。

ぜひ、
気になった記事から読んでみてください。

桃源郷は、
誰かに与えられるものではなく、
自分でつくるものです。

その一歩目を、
ここから一緒に踏み出せたら嬉しいです。

メルマガではさらに、ブログでは書けない、

・超リアルなビジネスの裏側
・読むだけで勉強になる個人が資本主義で勝つ方法
・AIと一緒に0→30万円の仕組みをつくるには?

などを公開しています。

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というようなことがあれば、お気軽にメールに返信という形でご連絡くださいね。

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